オープンスペース街・日誌

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2003年1月
イラク攻撃 NO! 
ワシントン50万人反戦集会
ビデオ

1月24日(木) 「街」日誌・イラク攻撃やめて!!の声続々!
3時からのアピールタイムでは15分足らずの間に2人もカンパをくれました。
ワシントンと同じく関町でも「戦争はいやだ!」という人がたくさんいる!
ライブをやっていて、それが日増しに強くなっているのを感じる!!
ワシントンの報告立て看板とイラク
写真展
劇団アンサンブルの竹内さんが
「グスコーブドリの伝記」(宮沢賢治作)
の案内に来ました。明日ヨッシーが行
きます
昼食は、鮭のホイル焼き、
カブの漬物、お味噌汁
←夕食は、ジャーン、
アンコウの肝鍋!!!!!


こりゃ、う、う、うまい!!
あったまるーーー!! →
ハネやんの手術日誌

1/23(木)  三分粥にグレードアップ


流動食を卒業。今朝から「三分粥」に昇格。
 昨晩までは3つのプラスチックカップで(重湯・汁・ドリンク)がトレーに乗った悲しい風景だったが、今朝は丼に三分粥、大根の味噌汁、人参とふの煮付け、みかん5粒、タラコのふりかけ、という豪華版。
   
   「看護婦さん、食事の時の注意は?」
   「30分ぐらいかけて、よく噛んで食べること!」

 超早食いの僕だが、ゆっくり時間をかけたので胃に負担をかけずに済んだ。
ほぼ10日ぶりの食事。「アーッ、生きることって、食べることから始まるんだ!」

昨日ワシントン帰りの3人組がビデオを持ってやってきた。全9巻中の1巻だけを見た。日本から行った5人が、アメリカの人たちと生きいきと交流している姿が嬉しかった。
  「観光とは、民衆と民衆が出会い連帯すること」(1972年来日した反戦女性ジェーン・フォンダの言葉)
 連帯・国際連帯の第一歩。30年ぶりに、ジェーン・フォンダの言葉に返礼ができた。

僕の師匠は「民衆にべったり・くっつく」のも革命家の能力の一つと書いていた。理論が苦手だった若き日の僕には、この「べったり・くっつく」能力だけしかなかった。それが、それが今、「街」&「ジュゴンの家」の長所となった。
 
   「人とキチンと向き合うこと、話し合いを通して格闘すること、日常的・大量に」

 ワシントン3人組は世界のヒノキ舞台に立って、改めてこのことを実感したことだろう。
そして、「街」スタイルが、世界でも通じることを確信して戻ってきたはずだ。それがワシントンへ行った最大の成果だ。

訪米が「生の喜び」だとしたら、僕は「生の危機」と闘った一週間だった。"生・老・病・死"―――誰でもさけられない事だが、いかに「生きる」のか。
 天皇が優秀な医師団に24時間体制で守られている時、僕は小さな病院の薄暗いリカバリー室で、医師・看護部不足の中、フッ君と2人で、自力で術後の"痰(たん)"との闘いを展開していた。この医療の不平等さ、この一点だけでも、僕は絶対に天皇を許せない!
 不器用な人、困っている人が発明をする。"痰"については本当に悩まされた。
 開腹手術をしていたので、咳き込んだり、痰を出すだけでも、傷口にひびいてしまう。両手で傷を押さえないと、痛くてたまらない。しかし、傷口(それも2ヶ所もある)を押さえていると、口から痰を出しずらい。手が3〜4本あれば、すむことだが・・・。そこで、うがい用器具をアゴの下に固定した。ヒモで結べばもっとよかったが・・・。結局、100回近く出した"痰"は、一回も病院の力を借りず、自力でやったことになった。

 ともかく僕は「生と死」と向きあいながら、順調に回復している。
"昨日よりも一歩前へ"――
自分の中の誤った傾向はこれを契機に治してしまおう!
新しい自分に生まれ変わって、この病院を退院しよう。
55歳の新しい旅立ち。


1/24(金)  点滴の日々

手術後は24時間、点滴が付けられていたが、今は朝食後から夕食(18:00)まで点滴をしているので、ついつい動くのが面倒臭くなる。そこで、今朝は、朝のチェックが済んだあと、靴にはきかえ散歩にでた。
 
 昨日降った雪は道路にはもうなかったが、田んぼ、畑には残っている。雪景色の中に雪化粧された富士山が。富士山の上空には半月が出ていた。この病院に来てから見た一番美しい風景だった。

この2日間便秘(?)になっていた。ツーといえばブーの僕にとっては珍しいこと。術後で大腸の動きもまだ活性化していないのだろう!
 "♪ダンスは上手く踊れない・・・"などと口づざみながら散歩してると、
 "♪ウンコはうまく作れない・・・"なんて返歌が浮かんできた。
少し氷結した道路を滑らないように注意しながら20分ほど散歩。予想通り、病院に戻ると、便意をもようして、外来のトレイにかけこんだ。
    
    「♪シャーーッ。フーッ」
ワシントンでお世話になったさゆりさんより
連絡ありがとう。無事に着いてよかったですね。
今から思うと、何だかとてもいそがしくてゆっくりとお話する時間がなくて残念でした。
でもみなさんに会えて本当によかったです。
あれからCDを聞きました。いい曲を歌ってくれてありがとう。感心しました。
これからの皆さんの活躍を祈っています。がんばってください。
追記: 1月24日発行の週刊「金曜日」に私の反戦デモの報告記事と
よしこさんの撮った写真が載っています。よかったら見て下さい。
宮崎さゆり


1月24日(木) 「街」日誌
ワシントン行動の立て看板完成!! 昼食はししゃも、けんちん汁、
炊き込みご飯、煮豆、漬物
昼食後のお昼寝をするフッ君
食後の練習その@ 食後の練習そのA ホワイトハウス前に22年間座り込み
をしているおばちゃんの記事を真剣に
読むヨッシーとせんべいを食べながら
真剣に聞く二人
夕食はブリの塩焼き!!、ブロッコリー
と豚肉の炒め物、あっさり漬物(マリさん
差入れ)、お汁
飯田さんより、サーターと鯛焼きの差し
入れ。「うちの旦那、テレビでワシント
ンのデモやってるの見て、則子さんたち
探してたわよ!」
ワシントンでお世話のなった宿のペギーさんより
赤羽、アリ、西様、
ご無事に日本にお帰りになられて安心しました。
沢山のお写真も本当に有り難うございます。
違う生活の皆さんとお会いして、貴方達の世界に一寸だけ触れたのがとても新鮮でした。
皆さんとても心の善い所が楽しかったです。有り難うございました。
赤羽さんのご主人様が早く快復されます様に心からお祈り致します。
そして皆さんも益々のご努力で目的に向かってお暮らし下さい。
私はサンバに慣れようと毎日努力しています。ではお元気で! ペギー拝


1月23日(木) 「街」日誌
イラク攻撃NO「街」前ライブ! ワシントンの反戦集会へ行ったことを話すとイギリス人のお客さんが
「すごい!!」と感動してくれた。
今日も署名が続々集まった。 おせんべいの差し入れ
中島社長「あはごんしゅぎ」
お買い上げ!
夕食は大根のピリ辛炒め、おたふく
豆(マリさん差入れ)、竹輪ともやし
のおひたし、キンピラゴボウ。
食後は歌の練習。今日はフッ君大特訓!
ハネやんの手術日誌
1月22日(水)・・・・手術8日目
 ・「流動食2分の1」3日目。全然力の出ない食事だ。
 ・一日10数本あった点滴が5本に減った。
  点滴スタートの前に、朝の散歩を済ましておこう。
  日の当たる場所を選んで10分間歩いたが、絶好調だった。
 ・以前は腹筋に力が入らずに腰が引けて歩いていたのに比べると、成長したなァ。腹筋が痛くて
  ベットの上で起き上がるのにも大格闘した日もあった。
 ・世間ではインフルエンザ、風邪が大流行とのこと。当然、病院も同じ事。
  一階外来のエレベーター前までは金が接近中。僕のいる2階でも、南側病棟では、風邪が大流行中。
  北側の僕は戦々兢々。
フッ君の看護日誌
1月21日(火)
 朝、ハネやんの腹部を観察すると妊娠6ヶ月の状態から妊娠3ヶ月くらいまで引っ込んでいる。
一夜にして急激な変化! 腹部膨満感も昨日より楽になったとのこと。本人はいたって元気だ。
腹筋で上体を起こせるようになり、新聞、読書、テレビで過ごしており、日中の睡眠時間は減っている。昨晩より、眠剤が開始となり、効き目があったという。
 かく言う私は、ハネやんの身辺自立が進むにつれてすることがなくなり、ベッドサイドの丸椅子に座っていると、ふいに睡魔に襲われ、コックリし始め、ベッドの柵に頭を強打。病人そっちのけで醜態をさらしていしまった。
 昼食は病院にお願いして入院患者と同じもの(常食)を食べているが、薄味で素材の味が生きておりおいしい。本日の献立は、白米、もやしスープ、筑前煮、タコとワカメの酢の物。
 13時より道場で太極拳。20人程度で盛況だが、正味10分間で1回ではなかなか勘が戻らない。
 則子さんが本日帰国する予定。ハネやんの元気な姿を見て、安心するだろう。


1月22日(水) 国会前行動  アメリカ派遣団帰国
「街」前でイラク戦争Noをアピール
寒いワン ハネやんの病院から戻ってきたフッ君 アメリカ帰国組のために腕を振るうマリさん
扮装してアメリカ帰国組みを出迎えるチューヤン 帰ってきました!!
みんな夕食を食べるのを待ってくれていた 帰国組みは24時間近く寝ていないが興奮して話がはずむ おみやげ、ブッシュの顔入り9−11ドル
みんなくいいるように見るビデオ上映会
ハネやんの手術日誌
1月21日(火)
215号室、6人部屋、午前11時。
なぜか、この部屋は18人もの人であふれ返っていた。

 入り口左はご存知、オトボケ老人、Mさん
    右は、いつも眠っているTさん
    中は、本日入院したご夫婦と、僕&フッ君
    奥は、今日手術を受けるOさんと見舞いの10数人の家族など。
    あとは数人の看護婦さん
そんな状況になっているとは知らずに、フッ君、丸イスに腰かけながら、器用にイネムリをこいている。何の拍子か、通路に向けていた頭が横になっていて、そのまま、イネムリを続けていると
「カ〜〜ン!」 見事に額を僕のパイプベッドにぶつけた。
あまりにも澄んだ音に、部屋にいた10数人が一斉にフッ君の方をふりむいた。僕は恥ずかしくて、寝たふりをした。
 しかし、あまりにもみごとな「鹿おどし」だった。



1月21日(火) ハコちゃん、研修を終え広島へ帰る。./ハネやん手術日誌
2週間の研修を終えて、広島へ
帰るハコちゃん「また、来まーす。」
昼食は鮭の粕漬け アピールで「イラクの子供たちは今」
を歌うヨッシー
歌声に小学生も足を止めて聞き入る 署名も集まる 関町のみなさーーん!聞いて下さい


ハネやんの手術日誌
1月19日(日
  今日から朝食が出ると思い、2階のロビーで待っていた。
  「僕の食事がない。僕のは?」
  「水分、一日300mlが出ます。」
  「たった、それだけ・・・・・」
  スケジュールを見ると
  「流動食」→「三分粥」→「五分粥」→「七分粥」→「全粥」→「普通食」という、
  スペシャルなコースがあるようだ。1日1つをクリアしても1週間はかかるようだ。
  先は長いが、今はただ腹が減っている。

1月20日(月) 「流動食・1/2」
  手術前夜が最後の食事だったので、あれから1週間ぶりの食事をとる。
  「流動食・1/2」は通常の半分の量という意味。
  それは、「重湯」「スープ」「牛乳」各100ccほどが、3つのカップに入っていた。
  何から食べ始めたらいいのか、悩んでしまう豪華メニュー。
  胃や腸のために、噛みしめながら食す。

  前夜、そろそろ寝るかと思ったら、急に腹が張ってきた。まるで、イタズラ坊主たちにお尻から竹ストローを突っ込まれ、空気をパンパンに入れられタイコバラになった蛙のような感じ。
とても寝れる状態でなく、5時間ほど格闘して、2:02アッサリと“ブッ!”というオナラが出た。闘いの成果が“ブッ”だけなので、力が抜けてしまった。

  一日一日、着実な一歩一歩。


      

フッ君の看護日誌
1月19日(日)
  9時半に到着すると、既に朝の水分100mlを摂取し、ベッド上で新聞を読んでいる。
久し振りの水分の味は?と問うと「あまり上手くないな。」と。本人は本日より粥が出ると
思っていたらしく、落胆した様子。「栄養のあるもの食わないと力がでないよ。」と嘆く。
 昨夜は排痰もなく、良眠できたと。
 日中もベッド上で10数分間眠っては覚醒のパターンを繰り返し、小まめに睡眠をとって
体力の維持・向上に努めている。ベッド上での体位交換とベッドから床への立ち上がり、
歩行はスムーズになっている。
 昨日から下痢が続いているが、看護士が腹部を聴診したところ、腸のぜん動音が認め
られ、正常との由。補液は500ml×4を24時間かけて落としていたが、昨日より量は同
じだが、日中のみとなり、夜間の点滴がなくなって楽になったと。血色よく、表情穏やか。
午後、病院の周囲をゆっくりと1周散歩する.(約300m)

1月20日(月)
  朝食は流動食で3種類出たが、味気なかったとこぼす。
昨夜から腹部膨脹感があると訴え、見ると腹が妊婦のように膨れている。包帯交換時、主治医の説明では、腸の音はとても良いが、大腸がまだ完全に働いていないためだろうと。
昼食より流動食1/2となる。昼食前に2人で病院の周囲を約300m散歩。陽気が良く、外気が心地よく感じられる。
  昨夜、オナラは出たものの、相変わらず下痢が続いている由。
13:00より私は太極拳に参加。デイケア時代に経験があるが、3年振りなのと、BGMがないのとで、まだ動きはぎこちない。毎日参加して早く習得せねば。
  現在点滴は抗生剤が朝夕と、補液が日中4本。本日の体重69kg。手術の侵襲度の大きさと絶食だったことを考えると無理はない。本日も日中は適宜睡眠をとっている。
はす向かいの痴呆患者が繰り返すとんちんかんな会話に笑いがこらえられず、傷口に響いて痛いと泣き笑いの場面もあり。



。 \│/
。 ─ ○ ─
V..v 白 保 メ ー ル│\ Jan.19.2003
>>∈∋<< v..V        。 No. 41
""     >>⊂⊃<< . . 。
.。,:'"*.,:'"*.,:'"*.,:'"*.,:,:'"*.,:'"*.・。。・ ・。。,; " * ,.

                             //転載歓迎//


 <島の課題─自然との共生と異文化との交流─>      谷崎 樹生
  
 「島人はコンパクトでデリケートな島の自然によって生かされ、島の自然に根ざし
た文化によって育てられてきたし、今後もそうでなければならない」というお話は、
以前にも白保メールに書きました。現在、島で起こっている様々な環境問題(赤土・
畜舎排水・生活排水・農薬・化学肥料汚染、ゴミ、過密と過疎など)を解決するに
は、もう一度、 島の自然との共生について考え直し、悔い改めなければならないよ
うです。「自然との共生」は島の永遠のテーマです。

 そして、もう一つの重要な課題が「異文化との交流」です。古来より、海は島を隔
離するものではなく、「異文化」と「島独自の文化」とを繋ぐ道であったことは歴史
が物語っています。島々にはそれぞれ島の自然に根ざした文化があり、時には遙かな
異国から「異文化」を携えた人が渡来し、様々な文化交流の結果、今日の島の文化が
形作られました。

 「異文化との交流」と言っても、かつては、いわゆる島時間の流れの中で「異文
化」は、ゆっくり充分時間をかけて吟味され、島の文化に馴染む形で取り込まれてき
たものです。一見便利そうに見える目新しいものでも島の自然に馴染まないものはや
がて廃れ、忘れられてゆきました。
 ところが、交通・通信手段が発達した今日では、島人は日々、異文化の洪水にさら
されています。その新しい文化が果たして自然に根ざしたものなのか?島の自然に馴
染むのか?といった検討をしているゆとりもないまま、無批判に異文化を受け入れて
しまっているのが現状です。

 このように、日々押し寄せる「自然に根ざさない異文化」を無批判に受け入れるこ
とは極めて危険です。
 例えば、東京のような若い大都市では、全国から人が集まり、それぞれがかつて持
っていた固有の「ものさし」を捨てて共通の価値観を持たないと社会が維持できなか
ったのでしょう。「自然に根ざさない文化」はそういうところで生まれるようです。
一見華やかに見え、万人受けするものではありますが、それだけのものでしかありま
せん。

 最近「国際交流」とか「グローバリズム」が流行っていますが、島に無かったもの
をよそから導入する時には、時間をかけて慎重に吟味し、フィルターを通すべきでし
ょう。「アジアに向かって開く」のもいいのですが、アジアと言っても、拝金主義路
線をひた走っている地域もあれば、自然に寄り添って慎ましく生きている人々もいます。
 交流の前に先ず「何のために誰から何を学ぶのか?」「こちらからは何を伝えるべ
きか?」をハッキリさせておかねばなりません。

 今後、島人はどのような生き方を望むのか?この島にどのような社会を育て上げて
いくのか?そろそろ具体的な目標を見定め、覚悟を持って進むべき時機だと思います。


 <<アセス学会HPに新石垣空港方法書評>>

 環境アセスメント学会ホームページに、会長島津康男先生の新石垣空港方法書に対
する評が掲載されています。転載自由とのことなので、ご紹介します。 
 URLは下記のとおりで、「コミュニケーション」中の「論説・投稿」の中に「新
石垣空港のアセス手続きが始まった」という題で載っています。
http://www.jsia.net/
 なお、『白保メール』ホームページに新石垣空港方法書抜粋を掲載中です。
http://www1.ocn.ne.jp/~shiraho/

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# 長らく正月休みをいただきましたが、2003年最初の白保メールをお届けします。
  1月21日(火)には、第7回新石垣空港環境検討委員会が急遽開かれることにな
りました(13:30から、於石垣グランドホテル)。その報告も引き続き行う予定です。

♪ 送信がご迷惑な場合は、遠慮なくお知らせ下さい。
   すぐに止めるようにします。

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白保メール NO.41 03.1.19
発行者   鷲尾雅久 谷崎樹生 小林 孝
      shiraho@estate.ocn.ne.jp

1月20日(月) 日比谷野外音楽堂で行なわれた、全国総決起集会に参加しました。
          「街」からは東京にいる仲間10人で行きました。
「街」は集会の初めにうたいました。 「イラクの子供たちは今」、「心病んでも」、新曲「夢」
♪アメリカ、アメリカ、これ以上イラク
の人達を殺すな〜♪
有事法制、医療観察法案、
絶対許さないぞ!!
寒くても心は熱い
天野さん 西山さん 小田さん
イラク攻撃はんたーーい!! さあ、デモに出発 銀座の人達、聞いてください!
今日初めてデモに参加するマリさん 「街」へ帰ってからハコちゃんの誕生
日を祝う
チューヤン作、紅芋モンブランケーキ
「誕生日を祝ってもらうのは18年ぶ
りです」


1月19日(土) 今日は広島風お好み焼き大会!!ハネやん手術日誌
広島から研修に来ているハコちゃん
見事なキャベツの千切り
チューヤンのサポートで
「焼きまーす!!」
僕は肉載せ係り、とガンちゃん
ハイ!できました。 うわ〜!!おいしそう! みんなでいただきまーーす!


ハネやん手術日誌   入院中のハネやんから届きました

1月14日(火)
  14:00前に手術室に入った。以前、渋谷の大西さんから、「手術に臨む心構え」を教えてもらったのでいたって気楽だったが……
 突然、黄・赤・緑・青の原色の世界が目に飛び込んできた。そして起きあがり「痛〜い!!この痛みなんとかしろーっ!」と叫んだ気がした。オペの人も、その様子にギョッとしたとか。
 それからの記憶はない。次はリカバリー室のベッドの上で一人淋しく、「痛い、痛い」を訴えている姿。

1月15日(水)
  ともかく恐怖の一夜は明けた。少し落ち着いた。則子さんが来た。

1月16日(木)
  フッ君がサポートに来た。則子さんはワシントンDCに出発。さすがOT(作業療法士)のフッ君。痰の痛みに苦しむ僕にとっては、看護婦よりも頼もしい存在だった。13:00頃からの痰との闘いを経験したので、今夜は考え方を変えた。
 @睡眠時間は眠れるときに眠れるだけとる。
 A痰も気にしない→水を飲めれば解決するので今の対決テーマにしない。
この2点を実行したら、1日ボワヮンとして楽な生活ができた。

1月17日(金)
  状況は進行している。今日から歩行訓練のOKがでた。身体についていた色んな物が、減らされた。そして、起きあがる練習。地面に立つ練習をやっていたのですぐ、歩くことにした。@はベッドの周りを数十歩ほど、A次はリカバリー室全部を、B最後に洗面所まで歩いた。たった3回、それも疲れて休憩を入れながらの歩行だったが、歩ける事がこんなにも嬉しいのかと素直に喜べた。

1月18日(土)
  朝6時に廊下を歩いてみた。昨夜は“タン”に負けてほとんど眠れなかったからだ。歩くごとに、少しずつ自信が戻ってきた。“タン”如きに負けて、歩くだけで自信がつく。人間って不思議な存在だと思う。
 リカバリー室から、前にいた、大部屋に戻る。フッ君と2人で、院外の散歩もした。腸に動きがあり、“食事・水分”なしの生活が明日には終わるとの朗報。1日に300mlの水分をのんでいいのだ。つまり、着実に改善されつつあるということだ!!


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