オープンスペース街・日誌

2003年1月D

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1月31日(金) 「街」日誌
今日は中学生4人組が
「イラク攻撃反対」の署名をしてくれた。
 小泉首相あてにメッセージを書く欄に
その中学生が書いたメッセージ

「イラク攻撃に反対する人はたくさんいま
す。だからアメリカに加担するのはやめ
たほうがいいと思います。アメリカを支
援するよりイラクの子ども達を支援してください」みさき

↑昼食は豚とじ丼
昼食後の音楽練習風景


夕食は焼肉!
ハネやんの手術日誌
1/28(火)
手術から2週間。元気になるにつれて、入院生活に飽き気味になる。昨日は一日中冷雨。散歩もできずにストレスがたまる。
12チャンネル午後の映画を見る。普段はB級作品が多いが、27日は1965年のアメリカ映画『いそしぎ』をやっていた。僕が高3の時に作られた映画。主演、エリザベス・テーラーとリチャード・バートン。たしか、超大作『クレオパトラ』で共演した2人が、それが縁で結婚した頃に作ったと記憶している。
 『いそしぎ』のテーマ音楽は大ヒットし、今ではポピュラー音楽になっている。
 内容自体は恋愛もので、当時、アメリカの反戦フォークソング、ビートルズ、怒れる若者たちの時代だったので、劇場には足を運ばなかった。
28日の映画は、1963年の『リオの男』のこの映画は高2の時に学校をさぼって日比谷劇場で封切を見に行った。フィリップ・ド・ブロカ監督、ジャン・ポール・ベルモント酒宴の冒険活劇で『××の男』シリーズとして、何作か撮られている。映画青年だった僕の評価では“A”ランクを付けたはずである。

1/29(水)
朝の散歩はユックリ30分。7:00前、民家と民家の間から家と同じくらいの太陽が昇ってきた。バレンシア・オレンジのようなダイダイ色の太陽。昼前久しぶりに暖かい日だったので、病院の前に座って日光浴。洗濯も2回してしまった。
昨日入院してきた人のイビキに全員ギブ・アップ。イビキと言うのか、息を吐いた後で40秒ほど「停止」し・・・グワーッ!と一気に息を吸う。無酸素呼吸のようで、40秒の間に眠れないと、グワーッの度に驚かされる。
ハンバーグ、オニオンスープ、マカロニサラダが通常食で、僕のは鳥の肉団子、はんぺん汁、マカロニサラダ。こってりとしたハンバーグを食べたかった。

1/30(木)
昨日は2時間ほど散歩した。朝・夕、30分、昼60分。一日1時間半〜2時間を目標にノンビリと歩くことにしている。
昔は畑ばかりだったというこの辺りにも、アチコチに住宅が建ち始めている。一戸建て3000万円台ぐらいなのか、これからローンを返済していくのは大変な事なんだろう。僕が朝の散歩をしている6時半ごろには背広姿のお父さんたちが通勤しはじめている。いくら都心と直通になったとはいえ単線の電車だと時間がかかるようだ。
朝、隣りのベッドのTさんがトイレに行こうとして足がふらついて倒れてしまった。急いでナース・コールをして看護婦と3人でTさんをベッドに運んだ。

1月30日(木) 「街」日誌
神保さんの新作漬物! さしいれのチョコレート まりさんの手作り饅頭
夕食はヨッシー作、大根と三枚肉の
煮物、大根の葉とじゃこのいためもの
みんなでいただきます!! 夕食後、歌と踊りの練習「安里やユン
タ」
こんにちわ 館野です

戦争前夜を誰もが疑わない、このアタマの中がカユクなるような日々です
何がどうあろうと戦争をやりたくてたまらないブッシュと、
その金魚のフンになろうとしている小泉を許せない思いが
胃袋の中どんどんにたまっていくかのような気持ちです

さて、バラッド、物語歌だけのライブとして 半年に一回のペースで進めていた「
語り歌の継承」も今度で10回目です。今回は五十嵐正史とソウルブラザースをゲストに迎えて、彼らの元気のいい演奏を楽しんで頂けたらと思っています。例によって長い歌(暗い歌?、重たい歌?)が中心ですが、それなりにひたれるはずです。
それでは、お待ちしています
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2/8(土) Ballad 語り歌の継承10 
館野公一+五十嵐正史とソウルブラザース
19時スタート 1800円(予約1500円)
かけこみ亭 南武線谷保北口下車徒歩3分
〒186-0003 東京都国立市富士見台1-17-12 S&Sビル地下
TEL042-574-3602
http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/
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沖縄の真喜志好一です。直前の情報ですみません。
沖縄の「ひめゆり」、東京でバレエ公演
沖縄の音楽家・海勢頭 豊(うみせど・ゆたか)さんが作曲した交響詩
 「ひめゆり」がバレエになり、東京で公演されます。
会 場   「きゅりあん」大ホール(大井町)
日 時   1月31日 午後6時15分開場、6時45分開演(予定)
問い合わせ先  電話03−5741−7651、または 090-4246−6800(佐藤)まで

  
  S席が5,000円 A席は4,000円 B席3,000円です。
 沖縄に関心を寄せてくださっている多くのみなさんのご来場を呼びかけます。

   
 当日はバレエ「ひめゆり」と共に、海勢頭豊コンサート「沖縄の風」公演があり
 代表曲「さとうきびの花」 「月桃」 「喜瀬武原(きせんばる)」など8曲が披露されます。

  
以下、今回の公演に寄せる海勢頭豊さんの文章を、公演リーフレットから転載します
バレエ「ひめゆり」について       海勢頭 豊 
   
 太平洋戦争末期の沖縄戦。1945年の4月から日米両軍の決戦場となった沖縄本島南部では、看護要員として動員された沖縄師範学校女子部と第一高等女学校の生徒からなる「ひめゆり学徒」と職員合わせて219名が命を失いました。
 
 特に6月18日の日本軍からの解散命令を受けて、砲弾の雨降る嵐の戦場へ放り出さ
れた「ひめゆり」の乙女達は、恩師に別れ、手を取り合い励まし合ってきた学友にも別れを告げ、最後に父と母の面影に別れを告げながら、次から次へと若い命を失っていったのです。
 
 このあまりに悲しい「ひめゆり」の青春像は、沖縄戦の悲劇の象徴とされ、戦後の歴史教科書に記されることになりましたが、しかし地獄の戦場から生き残った「ひめゆり同窓会」の学友たちの心の傷は深く、消えるものではありませんでした。
 
 あの戦争とは一体何だったのか? 残された者の責務として戦争の真実を次世代に伝え、反省し続けることが、目の前で死んでいった学友たちの無念に応えて、さらに沖縄本来の平和の心に到達できるとの希望を持つに至り、資料館を造ろうと立ち上がったのです。
 
 そして初案から10年近くの歳月を経て、1989年6月23日に、ひめゆり同窓会念願の「ひめゆり平和祈念資料館」は糸満市伊原のひめゆりの塔の傍に開館。以後、多くの観光客や修学旅行生が訪れて、戦争の悲惨さと平和の心の大切さを学んでいますが、その開館10周年記念コンサートの委嘱を受けて、1999年6月19日に糸満市摩文仁の平和祈念堂で初演したのが、この述懐と鎮魂のための交響詩「ひめゆり」です。

 それから3年余を経て、同志のヒゴ・マサヒロが振付を決意。ここにバレエ「ひめゆり」  の公演を企画した次第です。皆様の忌憚のないご意見をお待ちしております。

1月29日(水)
小美野さんは御年90歳。でいつも元気にショッピングカーを押して「街」に顔を見せてくれる。「街」と一緒にお花見や旅行に行くのを楽しみにしている。今日は、その元気の秘訣をインタビュー!!
おみのさん語録
@ほがらかに心を保つこと
A良いことを信じて実行する。それが習慣になる。
 例えば歩くこと、大きな声で楽しんで歌を唄う、
 丸干しは頭から食べる(苦いところは肝臓に良い)
B人を喜ばせることが自分の喜びになる
  因縁果報(心に触れると自分に帰ってくる)
C自分の年を若く考える、若い人と交流する
昼食は鶏のソテー、柚子味の漬物
お味噌汁
フッ君に仕事を教わる洋平君
イラク攻撃反対ライブ&アピール
夕食はカレーライスとサラダ
イラク・バグダッドの空の下で思ったこと  まよなかしんや
最大の印象は子ども達が明るくって、元気で、人なつっこくって、瞳がイキイキと輝いて、接しているだけでたくさんの元気をもらった。

私たち沖縄から来た者たちに暖かく接してくれた子ども達やイラク民衆の頭上に砲弾を落とさせてなならないと、今、強く、強く思っている。

この12年間で、街はすっかり復興していて、一見物資も豊富であるが、内実は大インフレで貧富の差が拡がり、街にはストリートチルドレンがあふれ、庶民の生活は苦しいようである。

湾岸戦争の後遺症、白血病や小児ガンで苦しむ病院を訪れたが、あまりの悲惨さに言葉を失ってしまった。
 経済制裁で医薬品などが足りず手のほどこしようのないまま、入院中の子ども達が75%も生命をおとしている、とのことである。

子ども達やイラクの民衆と街頭や幼稚園で歌や踊りを通して大交流したが、とってもとってもノリがよくって圧倒されてしまった。

12年前、在沖米軍がイラクの民衆を殺し、今、また、沖縄の米軍基地がイラクの民衆を殺そうとしているが、私たちは、イラク訪問の体験を内外にアピールして、断固、イラクへの攻撃を阻止したい。タゲエニチバラナヤ!
バグダッドにおけるおもな行動報告
我々の行動は観光省の役人(と称する者)が同行、写真撮影などを監視

1/13 夜沖縄を出発 → /15の夜バグダッド着(32時間かかった)
1/16(木) 午前 アメリアシェルター訪問 25,000DNR=約12ドル寄付
             赤新月社訪問、総裁と面会、18日の病院訪問の許可を受ける。
         午後 夕方、革命広場でゲリラ的アピール行動@展開(15〜20分)
         夜  革命広場で2度目のアピール行動A展開(15〜20分)
 /16 深夜〜1/17未明 
            湾岸戦争20周年糾弾デモ
            イラク国営放送で「オキナワ・ジャパン」と紹介し放映(1〜2分)
1/17(金)金曜日はイスラム安息日で施設訪問はなし
1/17(金) 午前 バビロン遺跡訪問
         午後 郊外カルバラのモスク訪問、ビスケット等配布するが途中で中止
          夜  街頭でアピール行動B

1/18(土) 午前 サダム教育病院訪問、寄付・お土産は断られる
         午後 イスタン・シリア大学構内でアピール行動C展開
             森住氏からイラクや国際情勢について聞く
         夜  革命広場でアピール行動D展開
1/19(日) 午前 幼稚園訪問、保育園・幼稚園訪問
         午後 民族博物館見学、市場視察兼買い物
          夜  街頭でアピール行動E展開

1/19夜中(1/20未明)アンマンへ、そして1/20(月) ドバイ、関西 帰沖する

1月28日(火)
昼食は中華丼!! 夕食は骨までやわらかい鰯の煮付け、あっさりつけもの、味噌汁。
洋平君は鰯とごはんををおかわり!
雨の中、マックは脱走して一人で散歩
 鉄建公団訴訟 1・27 報告・総決起集会 に フッ君が参加
  12月6日に「四党合意」決定大会から丸2年を迎えた冷たい雨の中、約150人が集まった。12月6日に「四党合意」が完全に破綻した今、最高裁闘争と鉄建公団訴訟で闘うことの正しさが証明された。鉄建公団側は不当労働行為がなかったこと、清算事業団ではきちんと転職をあっせんしたとの証拠を提出してきたが、内容はお粗末な限り。
 本日の発言者である仁部さんも具体的に組合差別とデタラメな転職あっせんを怒りを込めて証言した。
 未だ「四党合意」にしがみつく高嶋・寺内執行部を倒そう!!人が人として生きていける社会をつくろう!
ハネやん日誌
1月25日(土)
早朝散歩。完全防寒していたので、手術後いちばん長時間歩いた。歩くペースは今までの半分以下だが・・・。快便のための運動になる。
昨日の午前に最後の抜糸(今はホッチキスなので抜コウ)。「2〜3日すれば風呂に入れそうだな」は主治医の言葉。フツウの人なら喜ぶだろうが、風呂嫌いの僕にはピ〜ンとこないお言葉だった。又、抗生剤の点滴など、5本中3本の点滴がなくなり、拘束時間が減るぞーっ!
スポーツ新聞を読んでいたら、「ボーン・アイデンティティ」に主演している来日中のマット・デイモンは取材で、イラク反戦を訴えている。又、「タイタニック」に次ぐ興行収入が歴代2位になりそうな「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」のPRのために来日会見をした、ヴィゴ・モーテセン(44)は、「石油の為に血はいらない」と直筆メッセージを書いたTシャツで登場し、「イラク戦争突入は危険で反対です」と映画の宣伝そっちのけでアピール。いやぁ、アメリカの文化人はスゴイ。
10時すぎにM老人が退院。ヘルパーさんがお茶の缶を、家族からテレビカードの差し入れ。気づかいがえらい。
 入れ替わりに、2週間前に退院したT老人が再入院してきた。以前の退院は家族の反対を押し切ってのものだったが、案の定戻るハメに。「自分は正しく、誤っているのは他人だ!」という姿勢は直っていない。
午前中の健診でガーゼが外され、テープ跡をベンジンできれいにふいてもらった。最後の一本の点滴も、血管がはれてきたので、T先生の「もうやめよう!」の一言で中止になった。これで、すべてのものから解放されて、自由になった。
 午後北口の本屋まで散歩。何だかんだ往復45分かかった。戻ってきて、洗面所の熱い湯で拭身。ヘソを上下して20cmほどの開腹跡があった。
「失われた歌をもとめて/五木寛之」
 ・・・どうして私たちの音楽が生まれないのか?
 偉大な先達や巨匠たちに敬意と偏愛の情をいだきつつ、仕事の面では"オレはヤツらをめざさない"と言い切る姿勢がなければ、そこには新しいものは生まれないのだから。
 ・・・タンゴやジャズの発生をたどりながら、ふと不思議に思う。
 どうして歌舞伎町から新しい音楽が生まれなかったのか、と。

 戦後、ギリシャの引揚げ者たちの都市スラムから、新しい流行歌が生まれた。
 ・・・私たちの歌は、どこに、いつ誕生するのか。

1月26日(日)
見事な一本グソだった。大腸ガン又は手術の最大の問題は「便はどうなのか?」なのだから、快便は嬉しいことだ。
 私の前のベッドのTさんは、22日大腸内視鏡手術でポリープを摘出した。しかし、便が出ないので、退院が延期されている。
日曜の朝食はパン。僕は「三分粥」だからどんなのが出るかと思ってたら、温めたミルクにちぎった食パンが入っていた。それとミネストローネ、ヨーグルト。
 朝の散歩で近くのコンビニに寄り、炭焼珈琲を買う。差入れの「あさりクリーム・シチューパイ」をレンジで温めて、豪華ブレックファーストとなった。満足・満足。

1月27日(月)
昨日から「五分粥」に昇格。術後の最後のハードルは「腸閉塞」なので、今は消化のやさしいものが出てくる。噛まずにツル〜ンと入ってしまうワカメ、もずく、キノコが意外と消化に悪いようである。用心、用心。
今日の天気予報は一日中雨。これじゃ散歩にも行けない。パジャマ、シャツ、パンツなどは洗面所で手洗いを始めた。運動にもなるし、天気の良い屋上で干すのは気分のいいものであるが、明日に延期しよう。
午後の定期健診で、T医師から「食事がとれるようになったら退院だね」と、初めて「退院」という言葉を聞いた。順調にいっているいようだ。

1月26日(日) 「街」日誌  署名が続々と集まる
今日はアピールの時間を少し早くした。 近くの「劇団アンサンブル」へ行く人達が大勢署名をしてくれる。
中には、「いつもここの活動を見ています。今日は署名をしてから、お芝居を見ることに決めてたのよ。」と、
親子そろって署名をしてくれる人もいた。
「劇団アンサンブル」への行き、帰り、たくさん「イラク攻撃反対」の署名が集まる。
静岡から来た、Nさん。東京に来た
ので寄ってみました。ここは僕が
スキな匂いがする、と友人に紹介されました。
昼食はそぼろ丼 わ〜!おいしそう!!

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