オープンスペース街・日誌 |
毒舌セカンドオピニオン(精神医療の荒廃)笠 陽一郎 |
愛媛・味酒心療内科のホームページ |
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12月7日(日) 「街」日誌 |
と き◆12月7日(日)午後2時〜 |
昼食は三色丼 | 饅頭の差入れ | リンゴが送られてきました (^o^)丿 |
イラク派兵反対のアピール | ||
夕食です | 鍋が煮える間にサンマ・鯖の〆 | カキ・タラ・鶏・鍋の完成 |
そこに沖縄・読谷から反戦地主の知花盛康さんが登場。他の行事もあったらしいのですが、わざわざ「街」を来訪して くれました。 | ||
「ヨッシーとジュゴンの家」のミニ・ライブ。普段、あまり誉めることがないという盛康さん、「ヨッシーとジュゴンの家」の唄、 沖縄での「ジュゴンの家」のピースウォークを絶賛していました | ||
熱い・熱い討論が深夜まで続きも一時頃に帰宅 |
オランダ:イラク南部に特殊部隊派遣 |
【ブリュッセル福原直樹】オランダ政府は5日までに、自衛隊の派遣候補地のイラク南部サマワに駐留するオランダ軍に特殊部隊の先遣隊を派遣した模様だ。来週初めには支援部隊本隊も出発する。現地の英軍指揮下に入り、オランダ駐留軍の安全確保にあたるほか、テロリスト拠点などへの英軍の攻撃を支援する。 オランダ国防省関係者によると、支援部隊は総勢80人規模で、8チームに分かれる方針。各チームはスナイパー(狙撃手)のほか、爆破物や通信、医療の専門家各2人で構成される。隊員は隠密行動や極限状況での訓練を受けており、主に情報収集に従事。また、テロ容疑者などを発見した際の逮捕権限を与えられているという。 同省によると、現地はで武装勢力の動きも活発化しており、特殊部隊による監視が必要という。オランダ軍は、来年半ばまで現地に駐留する予定だが、さらに延長する可能性の出ている。 [毎日新聞12月6日] ( 2003-12-06-10:24 ) |
12月6日(土) 「街」日誌 |
朝練習をするヨッシー | 昼食はやまかけソバ | |
夕食はカレー、鶏の唐揚げほか | 天カメさんから焼酎・シークヮーサーの 差入れ (^_^)v |
イラク派兵を止めよう12・6緊急行動 |
ブッシュ・小泉のために死ぬな、殺すな! イラク派兵を止めよう12・6緊急行動 ★自衛隊のイラク派兵に反対しよう! 今まさに小泉政権によって自衛隊のイラク派兵が強行されようとしています。急な呼びかけではありますが、私たち「イラク派兵を止めよう12・6緊急行動」は6日に、自衛隊のイラク派兵に反対するデモンストレーションを行います。人の死を政治利用した排外主義的な煽動が続けられるなかでのイラク派兵強行に、疑問や違和感を持たれる多くの皆さんの参加を呼びかけます。 ★主催者について 12・6緊急行動は、イラクの軍事占領と自衛隊派兵に反対するために、有志が急遽集って準備した一日共闘の行動です。 私たち有志の多くは、アメリカのイラク侵略戦争に反対して積極的に行動に参加・協働してきました。そして、この間の反戦運動で出会い、ともに闘い、学び、あるいは批判しあうという経験を通じて、小さいながらも、あくまで戦争に反対していく一つの集まりを つくり、イラクの軍事占領と自衛隊派兵に反対する行動に取り組んできました。先のブッシュとラムズフェルドの来日に際しても、さらに多くの人々と協働して、それぞれ抗議する取り組みを実現させました。 そうした経験をふまえ、今また私たちは行動します。あくまでイラク軍事占領反対・自衛隊派兵反対を掲げて。日本の戦争参加を止めるためにともに闘いましょう。 日 時:12月6日(土) PM6:00 集会開始 PM6:30 デモ出発 場 所:東京・恵比寿公園 デモコース:恵比寿公園出発〜恵比寿南左折〜渋谷橋左折〜明治通り〜渋谷駅東口前〜宮益坂下〜宮下公園横〜神宮前6丁目左折〜東京電力館前右折〜ファイヤー通り〜消防署角左折〜渋谷区役所前左折〜神南1丁目右折〜渋谷駅前左折〜宮下公園(駐輪場)内解散 主 催:イラク派兵を止めよう12・6緊急行動 http://yurayura.mine.nu/call/20031206.html anti_bush1017@hotmail.com チラシ表面 http://yurayura.mine.nu/resource/20031206bill-A.pdf |
ほっとスペース X'mas会、望年会のお誘い |
2月12日八王子労政会館第1会議室でX'mas会、望年会を行ないます。 午後1時半〜午後8時半までの7時間です。 最初の約2時間はX'mas会、誕生会を兼ねたアルコール抜きの会です。夕刻からは立 食パーティー形式で食べ飲み放題の望年会を行います。 日頃から訴えたいこと、鬱々とした日常から解放されたい思いのたけを表現する場と して存分に活用してください。 差別者や権力の手先などはご参加をご遠慮願いますが、それ以外の?は誰でも参加さ れて構いません。 参加費は一人3,000円とかなり格安の設定にしています。 お返事は以下のメールアドレスにお願いします。 なお、参加されて表現活動を行なわれる場合には、出し物と何時頃から何時頃までを 希望と明記してください。 宜しくお願いします。 *************************************************************** * 12/04/03 15:21:29 * 「ほっとスペース八王子」代表 堀部 正 * 電話番号 0426-28-2319 * yasube@livedoor.com--------private E-mail * CXB01672@nifty.ne.jp-------official E-mail * URL-----http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/3324/ |
A&U情報:いよいよ今日です |
こんにちは。A&Uです。12月6日は、自衛隊のイラク派兵反対を訴えていくピースウォークです。集合は、13時に三条河川敷です。14時15分にウォーク出発の予定です。また出発まで、集会を開きます。集会では、京大11月祭りでのA&U企画の報告、11月29日の自民党の申し出の報告、今後の行動方針の提案などをし、そして、反戦ソングなど、反戦のアピールをしていきます。内容に充実した集会です。そして、ピースウォークも盛り上げていきましょう。ピースウォークに参加し、大きいウォークにしましょう。 |
ところで、小泉政権は今月末に自衛隊派兵を勝手に決めようとしている。民意を無視した政府の不正な独断です。だからこそ、この不正な自衛隊派兵は、私達しか止められません。私達が主体であり、それが人民としての私達の権利なのです。しかし、政府は勝手に派兵を決め、私達から権利から奪っているのが現実です。私達はこれを許していいのでしょうか。一人一人が権利として訴えていかなければなりません。そう、ぜひピースウォークに参加して下さい。自衛隊派兵反対を訴えていきましょう。自衛隊のイラク出兵を止めるために、希望をもって頑張ろう!! |
12月5日(金) 「街」日誌 |
伊丹さんが焼いてきたナン | パンを食べるタカちゃん | |
東京演劇アンサンブル、今年もやりま す「銀河鉄道の夜」 |
3時のお茶で異様に盛り上がるオバタリ アンノン族 | |
イラク派兵反対署名をとるナンちゃん | ||
便所スリッパ〜運動靴に履き替えたスギナミ店長・フッ君 | 関町の和風イタリアン親子・風間さん | |
夕食は鯖の味噌煮ほか |
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イタリア、イラク派兵縮小提案へ 下院委で国防相表明 | ||
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A&U情報 |
今日は。A&Uです。自民党京都府連への自衛隊派兵中止の申し立てを11月24日に行い、その報告をします。 私達は話し合いの場と、派兵中止を請願したのですが「君達と議論できない」「文句言いたかったらここではなく国会にいけばいい」、派兵後に「自衛官が死んでも、後に上手く対応する」などの無責任で聞く耳のない一点張りのひどい対応でした。その後信じれない事に、自民党職員は警察を呼び、警察の力を使ってA&Uメンバーを外に追い出した。そして職員に渡した私達の請求文書を、彼は投げ捨てました。自民党は、人々の意見や要求を聞き入れる気はないようだ。 |
以上のような無責任で非人道的な言い回し。警察を使って派兵反対運動を止める自民党の非政治的なやり方は絶対に許せない事です!このような政党が政治を司ってると思うと無残です。自衛隊派兵は不当な政策であると実感しました。 A&Uは、この不当な自衛隊派兵を訴えていく為に、今月6日にピースウォークします。予定では、13時に三条河川敷で集合、14時にウォーク出発です。 本日19時からスタッフ会議を行います。みんなで行動を成功させましょう! A&Uは、自衛隊イラク派兵を絶対とめるために頑張っています。また反戦運動や自民党などに関して質問があればaukyoto@yahoo.co.jpにメール下さい。 |
流浪団四番目の日活動 仁寺洞で反戦平和公演 2003-12-04 21:09:46 |
仁寺洞には人が多い、人も店も多い。.あちらこちらに走り回ったあげく、露天商の抗議も,店人の抗議もない、工事中などの建物の前にやっと腰を据えました。複雑なソウルで私たち流浪団が席を取ることは戦争みたいです。
照明も、空間もなく狭い席で、忙しく行くソウル市民を向けて派兵反対を歌うのが易しくはない。 欠点センター漂泊する魚チームで歌うトボルガは、自ら歌詞を付けた学校と青少年人権に対する歌をラップと歌った。歌詞が爽やかに胸に触れます。イラクにも私たちのような「人」が住んでいるで派兵はダメだという呼訴文を準備して来ました。 足を止めて公演を見ている青少年三名が自然に路頭に列べた派兵反対ピケットを持ったら歌に合わせてしばらく振る行きます. 明倫洞に住むという70年代に学生だったおじさんは大学時代反戦歌をたくさん歌ったと、「we shall overcome(私たち勝利しよう)」を3節までよくも呼んでくださったら、「No War! Repent Bush'!」と力強く掛け声まで叫んでから過ぎ去りました。. 私たち流浪団の主旨が少しずつ現実になって行くようで寒さも忘れます。 太鼓の音とヨッザングスがウィッザングダンに合わせて「派兵反対」ピケットたちを持って仁寺洞距離を一回りしました。ウインドーショッピングの人々がしばらく私たちに止まり、その視線たちがあまり冷たくないことでなんだか力が付きます. 青少年たちが一番関心が高い。ピケットを持ってトボルイが呼ぶラップに合わせてはにかむように身を振るおじさんも反戦歌を歌う。これを見ると世の中は希望に満ちて明るい。. 夕方になると急に気温が下がりました。これからはもうちょっと厚い服で武装しなければならないだろう。去る4月仁寺洞で反戦絵画展覧会をしたという画家ベフィグォンが自分の絵を盛ったはがき10点をはにかむように渡してくれていらっしゃいました。 したより受けたのが多くの一日ですよね.この愛の力で派兵反対流浪、続きます。 |
12月4日(木) 「街」日誌 |
自衛隊イラク侵略派兵、反対の署名 関町地域では、 大いに盛り上がっています。 ↓ 差入れもいただきました。 |
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夕食は2店舗運営の開始で、食事を 作る人がいなくて、『松屋』の牛丼 (-_-;) |
君が代判決:伴奏拒否教諭の戒告処分は適法 東京地裁 |
入学式で「君が代」を斉唱する際、小学校教諭の女性がピアノ伴奏を拒否したことの是非が争われた訴訟で、東京地裁は3日、東京都教育委員会が教諭に対して行った戒告処分を適法と認め、教諭側の請求を棄却した。山口幸雄裁判長は「伴奏拒否は職務命令違反であり、処分は行政の裁量権の範囲内」と判断した。 判決によると、日野市の小学校に勤務していた50代の音楽教諭は99年4月、国歌斉唱の際にピアノで伴奏するよう校長に命じられたため「思想信条に照らしてできない」と拒否し、伴奏がテープに切り替えられた。教諭は同6月に都教委から戒告処分を受けたため、処分取り消しを求め、昨年1月に提訴した。 判決は「公務員は全体の奉仕者であり、思想・良心の自由は制約される」との見解を示した。そのうえで「目的や手段に著しい不合理性がない以上、職務命令の違法性は問えない」と認定した。【小林直】 [毎日新聞12月3日] ( 2003-12-03-12:54 ) |
[平和願い]流浪団三番目の日活動消息 大学路マロニエ公園での公演 |
大学路で派兵を阻むため断食をしている童話作家・朴期犯の断食場を訪問しました。.ツウンナル路上で11日目断食をあげている朴期犯は目だけ残ったようでした。しかしその大雪がどんなに白くて清く見えたのかアンスロブダギよりは訪問した私たちの心がもっとピョンハンしました。会社員、主婦、,学生たちが一緒にしていたし、その所望たちが盛られられた木はすくすくと伸びていました。 私たちはマロニエ公園の一方に場所を決めて版を広げました。考えたより暗くて人々があんまり通らなかったが、,音響装備が空間をたくさん占めて移しやすくなくてそのままする事にしました。私たちと一緒にするために、ゾヤックゴ?ルニム,フックピリを吹いてくれた小学校4年生の金書誌、イラクから2日に帰国したギムゼボックスサニムが一緒にしてくれました。 単元たちはスッギがたくさんいらっしゃったようです。音楽に合わせて自然に身をフンドルオデで、八公山のヨッザングスはさみ作業は結構情味あります。マロニエ公園を27年間守って来たという'ゴリウィファがボムパル成善が焼酒一杯引っかけたら門庭現身部のケリコチョを描いて贈呈しました。流浪の対価が素人たちに力を出しなさいという印だと思います.。 昼にはビードル期にいっぱいになった大学路が夜には閑散でなります。大きい道にはまだ多い人々が行き来します。気候さえ肌寒いです. 舞台もなくて席は閑散であっても話が出ます。歌が出ます。映像が出ます。平和の風音が鳴らします。 「戦争反対! 派兵反対!」! イラクで相変らず銃声が騷騷しいです. 韓国人が倒れました. 知られた数よりもっと多い生命が奪われています. イラク人、日本人、スペイン人、そしてアメリカ人.... しきりに倒れて行っています. 派兵のジッゴリが目の前に見えます 暗くうっとうしいこの席にも 総そう死ぬ私のそばの若いこれらが明らかに見えます. ここにあそこに立っています. いやされます。想像することもできないです. No War! No Dispatch! 実は濃い至恨席です. 門庭県花嫁2003/12/03 |
12月3日(水) 「街」日誌 |
田舎からユズが来ました | サニアちゃんとリンタロー | |
署名を集めるナンちゃん | ||
踊る則子さん | 三里塚野菜、売ってます | |
会長とお孫さん | 差入れ | 夕食は肉野菜炒め |
派遣は2月以降 陸自車両すべて防弾仕様へ |
自衛隊のイラク派遣を検討している防衛庁は、隊員の安全確保のため、陸上自衛隊が持ち込む車両をすべて防弾仕様とする方針を固めた。車両の改造に時間がかかることから派遣開始は早くても二月上旬となる見通し。これに伴い、十二月に予約していたチャーター機をキャンセルし陸自の年内派遣は完全に消える。 派遣する陸自部隊は合計五百五十人で、政府の派遣決定を受けて先遣隊六十人を十二月中に派遣し、宿営地の建設に入る計画だった。先遣隊が使う車両や物資は英国の民間航空会社を通じてロシア空軍のアントノフ輸送機をチャーターして送り込むことになっていた。 しかし、自衛隊の活動予定地となる南部のサマワから百キロのナシリヤでイタリア警察軍がテロ攻撃に遭い、安全確保のあり方を抜本的に見直した。日本人外交官殺害事件も防弾車両の必要性を裏付ける結果になった。 現地に持ち込む車両のうち、82式指揮通信車と軽装甲機動車以外の各種トラックに防弾性はない。防衛庁はすべての車両に鉄製の防弾板を組み込む必要があり、小銃弾に耐えられる防弾チョッキを新たに購入する必要があると判断した。 こうした準備を開始するのに必要な予備費が使えるのは、来週以降に閣議決定される「基本計画」の後になり、そこから準備を開始した場合、先遣隊の派遣は早くても二月上旬になることが判明した。残る本隊は三派に分けて出発するため、現地での活動開始は三月ごろとなる。 航空自衛隊はC130輸送機三機と隊員百五十人を来年一月にもクウェートに派遣し、イラクとの間で物資空輸を開始する方針。このため、イラク復興支援特別措置法に基づく活動は空自が先行する見通しだ。 政府が「年内派遣」を目指しながら、困難視されるのは現地情勢の悪化だけではない。首相官邸が「準備指示」を出さず、「防衛庁だけでできる準備」に任せたことから財務省が予備費の執行を認めず、準備全体が遅れる結果となった。 |
「イラクを侵略しないで!!! バグダッドから」 ワールドアクションより転載 |
2003年11月29日(土) PM6:36:26 こんにちは、礼。 あなたがたのeメールアドレスをヤフージャパンで見つけました。私はM.H.といいます。バグダッドで生活する高校の教師です。私は空手と日本語を習ってきました。私はいつも日本と日本の人々に敬意をもっていました。 米軍の侵略を手助けするために日本軍が来るというのは、私たちにとって恐ろしい知らせでした。私は、サダム・フセインを手助けしたことはありませんが、アメリカは武装した盗賊以外の何者でもありません。彼らは連日、イラクの人々を殺しており、一般の人たちは誰も、彼らを支持していません。 いま、ますます多くの人々がレジスタンス活動に参加しています。彼らは旧政権の残存勢力やテロリストではなく、ただの普通の人々です。他の国が日本を侵略することを想像してみてください。まったく同じことが起きるのではないでしょうか。イラクは侵略者ではなく、イラク人によって再建されるべきです。 アメリカと同盟する侵略軍として、イラクに来ないでください! イラク人は、日本に敬意を表しますが、もし日本軍が来たならば、日本はイラク人とすべてのムスリムの敵となるでしょう。 すべてのイラク人は、日本−過去にムスリムに対して敵視したことのない偉大な国−に深い失望を感じています。アメリカを支援することに、日本の人々の生活を含めたこれらすべてのものを失うほどの価値はありません。私たちは、侵略軍が去った後に日本が来ることを歓迎しますが、今ではないことは確実です。 私たちが本当に感じていることを日本の人々に伝えてください。日本軍は、私たちの国を侵略すべきではありません。私は、日本を愛していますから、決して敵にはならないでください。私たちは、日本に一つの独立国として、正義の決定をしてもらうことを望んでいます。 礼。 M.H. バグダッド、イラク |
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お知らせとお願い(第17号)2003/12/01 |
自衛隊のイラク派兵計画の中止を求めます イラクの平和と復興への道は、 米・英のイラク占領を、一刻も早く止めることです 次の駅前でのチラシ配り・訴えにご参加下さい 12月7日(日) 15:00〜16:00 高幡不動駅前 12月21日(日)11:30〜12:30 高幡不動駅前 上記の計画にご参加下さい。参加できる方、ご一報いただけると、準備するチラシの枚数を考えるのに助かります。でも、もちろん急の参加も歓迎します。 これらの日に都合がつかないけれど他の日なら、という人もご連絡ください。 一昨日、外務省の2名と現地の運転手が殺されました。 怖れていたことが起こってしまったことに、怒りと悲しみを覚えます。この責任は、間違った戦争を始めたアメリカと、それに追随する日本政府にあります。すでにどれだけの命が、米英のイラク攻撃で奪われてしまったでしょうか。さらにどれだけ多くの人々が生活を破壊され、苦しんでいるのでしょうか。 今日の12時から緊急集会が国会前で開かれ、首相官邸に「イラク派兵計画を直ちに中止せよ!」と訴えました。雨の中、急きょ120名が集まりました。 自衛隊をイラクに送る理由を,どんなに言い繕おうとも、アメリカの侵略戦争・そして軍事占領に加担しに行くことは明白です。自衛隊はイラクに行って誰に銃を向け、何を守るのでしょうか。誰をも殺してはいけないし、殺されてもいけません。 米英は、ありとあらゆる大量破壊兵器でイラク全土を壊し尽くし、劣化ウランその他で汚染し尽くしてしまいました。イラクに住む人たちは、これから先、どんな暮らしを強いられるのでしょうか。おびただしい被害の実態にこそ目を向け、私たちに何ができるのかを考えるべきです。気が遠くなるほどの期間、放射能の被害に苦しむイラクの人々に対してヒバクを経験した日本こそが取り組めることは大きいと思います。 テロでも報復でもなく平和をつくろう市民の声(略称 平和をつくろう会) 古荘 斗糸子 пEfax 042-592-3806 |
東京で上映会が決定しました!!! |
東京で上映会決定しました!! 東京で、トモダチが、映画の上映を企画してくれはりました。 ありがたいことです。 以下、上映会の紹介です。 よかったら、是非とも、見てみてください 宣伝もして頂けるとありがたいです よろしくお願いいたします 「かけがえの前進」 場所 あかね 03-5292-1877 地下鉄東西線 早稲田駅徒歩五分程度 12月11日 木曜日 20時から 参加費 500円+チャージ200円+希望者飲食代 12月13日 土曜日 13時から 参加費 500円 「シナリオ採録集」「天上天下病者反撃」「バクチク本第二弾」等々も販売予定です たらちね (狭山冤罪事件の映画です) 場所 WHITEROSE (予定)東武伊勢崎線谷塚駅 12月14日 日曜日 15時から 参加費 500円+飲食代 両日とも上映会後、意見交換など企画。 えばっちパソコンより |
12月1日(月) 「街」日誌 |
リサイクルショップ・すぎなみ 契約完了 (^o^)丿 |
オープン日、未定。でも徐々にプレ・オープンとして店を開いていきます。 先客万来 (^o^)丿 遊びに来て下さい (^_^)v |
「街」から「ジュゴンの家」、 そして、 リサイクルショップ「街」すぎなみへ/ハネやん |
1、「街」、「関町ケアネットワーク」、沖縄料理店「チャンプルー」
1993年、共同作業所の職員時代に自主運営のリサイクルショップ「オープンスペース街(まち)」(以下、「街」)の設立に関わって以来、いろいろな場を作っては、壊してきた。 地域で暮らしていた病院のデイケアのメンバーの自殺をキッカケに、94年に立ち上げた憩いと相談の場「関町ケアネットワーク」は、携帯電話の広がりと共にその役目を終えた。
95年に作った、食と楽しみの場・沖縄料理店「チャンプルー街」も、2001年6月に惜しまれつつ閉店した。
ワープロにモデムを繋ぎながら始めたワープロ通信の時代、そしてインターネットの勃興期、「街」のホームページの中にある掲示板「心の広場」には、全国の若者たちの悩みが書き込まれ、それに応えるため24時間、携帯電話による相談を始めた。
そして地方で孤立している若者たちが宿泊しながら学びあえる場・「ステイ街」が出来た。一時は、リサイクルショップ「街」の前にあるマンションを3戸借り、「関町ケアネットワーク」を含め多い時で10人以上の若者たちが宿泊していた。そして若者たちの内の何人かが自立していった。
ある日、インターネットを通じて「街」のことを知り、引きこもり・通院・入院を繰り返していた息子を連れた母親がやってきた。Kさん(26才)を初めて見た時、思わず「高校生みたいだ」と思ったほど幼い顔をしていた。 「今まで息子のためにいくらお金を使ったか知れない」 母親は定年を間近にひかえ、「もうこれ以上息子の面倒は見れない」「これが最後のチャンス」という悲壮な覚悟で「街」にやって来た。Kさんにも「もう、これまでの生活を続けたくない」というギリギリの覚悟があった。 Kさんは「街」で二週間の研修を終えた後、近くにアパートを借りて自立生活を始めた。御飯の炊き方も知らなかった彼だったが、まもなく「街」を卒業し、地域商店でアルバイトをはじめた。高校中退のKさんは近くにある定時制高校に通い、その後専門学校に進学した。そして今年初め、植木屋に就職が決まって、この街から巣立って行った。
Kさんとは、何度も衝突して出て行ったり、否を詫びて戻ってきたり、本当に沢山のエピソードがあった。彼が自立できた理由は、Kさんの意地と素直さ、「生れ変わりたい」 という強い意志、それと「これが最後のチャンス」という母親の覚悟にあったのではないかと思う。 その「ステイ街」も今は、混在型グループホーム「ハウス街」という一戸建ての家(*現在は、女性用ホーム、男性用ホーム)へと形を変えた。そこではかつての「ステイ街」の機能の他に、知的なハンディキャップを持った人たちの自立体験の場などになっている。
リサイクルショップ「街」、憩いと相談の場「関町ケアネットワーク」、沖縄料理店「チャンプルー街」、宿泊研修の場「ステイ街」という4つの場は、今、「街」と「ハウス街」の二つに整理・縮小した。それでも衣・食・住+憩い・相談を、保障しえているのではないかと思っている。
2、「ジュゴンの家」へ
「街」が出来た後、「街」のリサイクルショップ方式は、小平「カジャ」、三ノ輪「ゆいまある」、沖縄・名護「ジュゴンの家」、そして那覇「はんたぴあ」へと引き継がれた。 「久良木さんの『日本全国・出会いの旅』沖縄編で紹介されていた女性で、「てるしのワークセンター」とか家族会の仕事をされている山里さんを交え、久良木さんの思い出、沖縄の精神保健の現状、『街』の目指している方向性など、日が暮れるのも忘れ語り合いました。話している中で、リサイクルショップ『街』名護店構想が僕の中でムクムクと頭をもたげてきた。 沖縄に来て半月。第1期・ジュゴンの家から第2期・ジュゴンの家へ。この半月の過程は、『僕たちが沖縄で出来ること、沖縄の人たちと連帯する道、その内容を本土に持ちかえり、再びそれをふくらませて沖縄にフィードバックすること』を模索し、思考錯誤する半月でした。 僕たちができること。徹底的に『地域』にこだわること。『連帯・共闘』を声高に叫ぶことではなく、地域の人たちの生活に根ざした現実から出発すること。これが『街』の精神・スタイルだ。たとえどんなに小さくても、一歩一歩堅実な前進を積み重ねて行きたいという想いで一杯になった」(2000.8.31「ジュゴンの家」日誌) 2000年秋、4つの場の整理・縮小に伴って生れた力を、沖縄・名護のリサイクルショップ「ジュゴンの家」へ注ぎ込んだ。当初は、僕たち年寄組と、アリちゃん・ようこちゃんの若者組が、半月交代で「ジュゴンの家」を運営するという計画を立てていた。アリちゃんは、インターネットを通じて「街」と知り合った北海道出身の引きこもり・入院を体験した青年。その後、僕と共に沖縄料理店「チャンプルー街」のシェフとなり、生きづらさから自らを解放した。
2000年10月15日の「ジュゴンの家」のオープンの手伝いに来ていた埼玉県の不登校の高校一年生・晋君は一年間、「ジュゴンの家」の店長をつとめた後、昨秋から「ジュゴンの海の家」という移動式コミュニケーションの場を一人でスタートさせた(現在は名護・辺野古「命を守る会」事務員)。
「失敗は成功の素」
若者たちの可能性を信じ、責任ある仕事につかせることが成長につながる、というやり方を僕たちは取ってきた。失敗したら一緒に考えて、そこから教訓を学びとればいい。 昨年6月、不登校・通院・入院を経験している群馬県出身のUさん(23才)が、名護に移り住み、11月から「ジュゴンの家」の店長となった。昨年末には東京出身のSさん(24才)が沖縄に来た。彼は小学校の時から不登校を続け、通院体験者でもあるが、今では立派に「ジュゴンの家」の店長代理をこなしている。「ジュゴンの家」の若者は元気で信頼できる若者として、沖縄の人々に認められ、愛されている。生きづらかった過去を乗り越えて、沖縄のおじい・おばあたちの希望の星となっている。
3、「病」・癒し、から、解放へ
押し付けられた生きづらさ、それを癒すだけでいいだろうか? 僕たちは、「病」・癒しではなく、人が人として生きることのできる社会づくりをする中で、自らを解放したい! 2月3日の名護市長選挙。宮城康博さんの勇気ある立候補に対して、「街」と「ジュゴンの家」は12名で応援に行った。何しろ彼は、僕たちのバンド「ヨッシー&ジュゴンの家」のベースマンなのだから。その間「街」を守ったのは、メンバー、ボランティアさん、・お客さんたちだった。
選挙戦など一度もやったことのない僕らだったが、ギターを弾き、歌を唄いながら朝から晩まで市街地を練り歩いて沢山の市民に訴えた。現市長の権力と金を使った無法選挙に一歩もひるまず、心の病やハンディキャップを乗り越えて最後までやり抜いた。当選を勝ち取れなかったとはいえ、僕たちに敗北感などない。やり抜いた勝利感で一杯である。
「街」「ジュゴンの家」は本当に名護市長選を闘えて良かった。そして、やり抜くことの中で一人一人の足りない部分も知ることができた。更なる飛躍のための宿題として、選挙後、点検し、ただちに新しい挑戦を始めている。 「病気が精神病院で超克されるとは思わない。私たちは外部社会で病気にうち勝たなければならないし、それは社会が変わることでそうなるのだと思う」(イタリア・トリエステの教訓) 2002.2.22 |
それからいろいろなことが起った。連れ合いは2000年1月に「余命2年」と宣告された。僕自身も昨年の脳出血と、今年1月の大腸がん手術を経験した。しかし、そのことで心が萎えることはなかった。むしろ、日々をシッカリと生き抜いていこうという確信に変わった。 |
4、そして「リサイクルショップ・すぎなみ」へ 今年に入って、新しい3つの場が生まれた。中野「スタジオ・ジロー」、目黒「とみしょーや」、そして何よりも衝撃を覚えたのは、11月、沖縄に行った時に寄った鹿児島・与論島にできた「つどいセンター・海」の見学だった。 那覇の民宿「コパルト荘」で出会った与論島・田中豊次郎さんとは、久良木幹雄さん(故)を通して知り合った。そして何度も「与論島にリサイクルショップを作ろう!」と話し合ってきた。 2日、「コパルト荘」に泊まった時に、田中さんの消息を聞いてみた。するとオーナーの照屋さんが「大島新聞」のコピーを見せてくれた。そこには「与論島の共同作業所『つどいセンター〜海〜』開所から3ヵ月」という文字が躍っていた。僕は矢も立てもたまらず与論島へ旅立った。 「当事者同士が安心して心を打ち解け合える『仲間づくり』の場から一歩踏み出し、共同作業所は立ち上げられた。田中会長は、センターに集う当事者を代弁して話す。「センターに通うことで自分たちが楽しむだけでなく、将来自分たちと同じように苦しむ人が出て来るだろう。そういう人たちのためにも、自分たちの手で、これまで島になかったものを作っていくんだという目的意識がある」。「自分が明るくなったと感じる」「家に一人でいるより(毎日が)充実している―そう話す利用者の横顔に、規則的に作業所に通い、仲間と心を通いあわせながら働くことが、彼らの内面に生んだ変化の大きさを感じられた。また一方で、地域社会に積極的に関わっていこうという意識が彼らの内に芽生えていることに、頼もしさを覚えた取材だった」(大島新聞10月13日号」 |
人口6000人ほどの小さな島で、「精神障害者」であることをカミングアウトして、人の集まる場を作った彼らの気概に僕は大いに触発され、11月7日、東京に戻ってきた。細胞分裂が大好きな「街」グループ。来年春までに3つに分裂していこうと密かに想っている。健全な細胞分裂は、人を飛躍させる! 2003.12.1 |
11月28日(金) 第121回 金曜集会(沖縄) 沖縄・名護「ジュゴンの家」日誌より転載 | ||
はじまりのあいさつ、ありちゃん | ようこちゃんは、昨日の防衛施設局が来た話。環境に影響はどとんどないといっている専門家の名前は言えない、住民への説明会はマスコミは外へ出される。こんなやりかた変だとおもいます。 | 「これから辺野古が緊迫した状況になる。僕たちはどういう場面でどういう抗議をするのか、真剣さが問われる」昨日の市役所での抗議の感想と、専門の地質学の立場から、この調査は茶番だと話す、吉川さん |
「環境に配慮して調査するといくら言っても、そこは全て埋め立ててしまうのだから、そんな話はまやかしだ」と佐喜眞さん | 「縄文時代からじゅごんは沖縄の人たちの生活の中にあった。じゅごんを守ることは、私たちの生活を守ること」はなしろさん | 奄美独立50周年シンポジウムの話、国政さん |
東京と大阪に行ってきた知念ウシさん。ヤマト(本土)で沖縄の人で自殺する人がいる。差別の中で殺されるか闘うかどちらか迫られるくらい厳しいところにいる。 | 「昨日の特措法の裁判の判決で、沖縄には憲法も生存権も財産権もないことがわかった。黒スーツを着た防衛施設局の人間は、海を葬式に来たつもりか」と島田牧師 | 駐車場で「NO WAR」ステッカーを貼った車発見!! |
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